お茶がたどった道

漢から唐の時代にかけて中国で広まったお茶は、その後、世界に伝わっていきました。

福建省の[テー] という発音と、広東語の{チャ}という発音の2系統に分かれて別のルートで伝わっていきます。これがとても面白い。お茶の呼びかたでどちらのルートをたどったのかが分かります。

お茶を、チャという音で呼ぶ言い方は、日本語、ロシア語(chai)、ポルトガル語(cha)、ペルシア、アラビア、トルコなど。

「テー」は英語(tea)、フランス語(the)、ドイツ語(tee)、オランダ(thee)、スリランカ(they)、、南インド(tey)。

お茶がたどった経路が音(オン)に現れていますね。お茶はたどった道のそれぞれの場所で、その場所独自の茶文化を形成して行きました。チャの色も、茶道具も飲み方もその用途もさまざまです。

近代のお茶の歴史にいちばん貢献したのは、やはりイギリスでしょうか。16世紀の東インド会社が運んだお茶は、イギリス貴族たちの富みと権力の象徴として花開きました。

19世紀になってやっと庶民に普及するのですが、それもイギリスの政策によるものでした。イギリスの植民地であったインドのアッサム地方で大規模茶園の経営が始まったのです。

なにかとイギリスに張り合うフランスですが、こちらでは長いことお茶は「薬」のように飲まれました。高価でなかなか庶民の手には届かなかったという歴史があります。

日本では、遣唐使の平安時代頃です。僧侶が中国から茶を持ち帰ったと言われています、やはり貴重品で貴族のものとされ、儀式的に使われていたようです。

我が国での普及は12世紀末。臨済宗の栄西が宋からお茶と製法を伝えた・・・と歴史の時間に習いましたよね。テストに出ると言われて「りんざいしゅうえいさいおちゃ」と暗記した記憶があります(笑)。

その後、日本独自の文化「茶の湯」が生まれ、室町時代には武士が禅の思想とともに茶の文化を支えました。江戸時代には煎茶が流行りました。

数百年の歴史と文化。その間には歴史的大事件にもお茶は色濃く関わっていくことになります。
お茶が旅した歴史とともに、それぞれの時代、それぞれの背景と文化を想うことも、お茶の楽しみのひとつです。

今は、世界中のお茶が手に入ります。幸せな時代ですね。

2015年05月01日